双子でオネエの辛口コメンテーターのタレントで、メディアに引っ張りだこだった「おすぎとピーコ」さん!
最近は姿を見なくなったと思っていましたが、2023年現在ピーコさんが行方不明になりましたと報道されましたね。
一体何があったのでしょうか?
今回は、そんな2人について調べてみました。
おすぎとピーコの経歴まとめ!
文化服装学院出身のピーコの華々しい過去!
おすぎとピーコの経歴まとめ!
おすぎとピーコの愛称で知られる、お2人は2021年から芸能活動は休業状態です。
現在は認知症になってしまったという事ですが、お2人の経歴はどんな感じだったのでしょう?
おすぎの経歴!
芸名:おすぎ
本名:杉浦 孝昭〈すぎうら たかあき〉
生年月日:1945年1月18日(78歳)
職業:タレント、映画評論家
横浜市立桜丘高等学校、阿佐ヶ谷美術専門学校卒業。
プラムクリークス所属、ファッション評論家の「ピーコ」は一卵性双生児の兄です。
きょうだいは他に姉が2人いてます。
1975年のテレビ・ラジオデビュー以来、芸能界で活動し始める。
本業の映画評論では本名の杉浦孝昭の名義で活動している
映画専門誌の「キネマ旬報」等に寄稿していました。
美術専門学校卒の技能を生かして映画雑誌のレイアウト等の仕事に編集者として携わっていました。
一方では、テレビでのタレント活動、「おすぎとピーコ」としても話題を呼びました。
1978年、大島渚・監督作品『愛の亡霊』には俳優として出演されています。
ピーコの経歴!
芸名:ピーコ
本名:杉浦 克昭〈すぎうら かつあき〉
生年月日:1945年1月18日(78歳)
職業:タレント、ファッション評論家・ジャーナリスト、シャンソン歌手
映画評論家の「おすぎ」は一卵性双生児の弟で、ともにデビュー当時から同性愛者であることを公表しています。
そのキャラクターを活かしてタレント、コメンテーターとして活躍している。
更に詳しくは以下で順番に見て行きましょう!
文化服装学院出身のピーコの華々しい過去!
横浜市立桜丘高等学校を経て、文化服装学院・研究専門部卒業されています。
主にタレントやファッション評論家として活動されていましたが、
シャンソン歌手としても活動していました。活動はそんなに多くはないですがCDを出したり、コンサートも行っています。
詳しい経歴!
高校卒業後に、横浜トヨペットに入社
電飾工場への転職を経て、1964年にサンヨーレインコートに入社されています。
24歳の時に大きな決断をされます
「今後ファッションの仕事をしていくには基本から勉強しなくてはいけない。素材やデザインなどにも精通していなければプロとは言えない」「(シャンソン歌手の)イブニングドレスが作りたい」
サンヨーレインコートを退職して、文化服装学院のデザイン科に入学されました。
芸能界入り!
芸能界と初めて関係したのは26歳の時です、弟のおすぎさん経由で裏方としてドラマ衣装の製作を頼まれたます。
おすぎさんと共に、双子のオカマコンビが面白い!という事で、
1975年「おすぎとピーコ」としてテレビ・ラジオデビューした。
おすぎさんが、これまでに出演された番組の中でも最も長いのは「辛口ピーコのファッションチェック」でした
- TBSの『3時にあいましょう』に始まり
- 『スーパーワイド』
- フジテレビの『ビッグトゥデイ』
- 後に司会を務めた同局の『2時のホント』
- TBSの『ジャスト』
- フジテレビの『F2スマイル』
2005年からは『っちゅ~ねん!』レギュラーで出演。
2006年4月から『ちちんぷいぷい』へ、月1 – 2回のペースで生放送出演。
2008年からは、月曜日の午前中に『とくダネ!』へ出演した後に、新幹線で大阪に移動。
夕方から『FNNスーパーニュースアンカー』(関西テレビ)でコメンテーターを務めていた。
そのまま大阪で1泊し、翌日(火曜日)の15:00から『ちちんぷいぷい』へ3時間近くにわたって出演。
大阪と東京を行ったり来たり斗一番多忙の時期だったのではないでしょうか?
70代に入ってからもピーコさんは、精力的に芸能活動を行っていましたが、
2021年夏頃から弟のおすぎに認知症の兆しが見られ、おすぎはレギュラー番組を降板し芸能活動を休業。
弟の身を案じたピーコさんは、おすぎさんと同居を始めましたが、この同居生活を機に兄弟仲が悪化したようです。
そうこうしている内に、ピーコさんにも認知症の症状の一つである思い込みと妄想癖の症状が現れ始める。
そして2023年4月にピーコさんが、同年の3月下旬から行方不明になっている、との報道が出た様なのです。
どうか無事に見つかって欲しいですね。